こんにちは♪ 桂馬です。
かなり以前になりますが、JRAのCMで夢の第11レースというものがありました。
時代を超えた名馬たちが走る、「夢の第11レース」。
これを見ていると、各名馬たちが走っていた当時を思い出します。
競馬だけではなく、
「あの頃は、こうだったな」とか、
「この馬が走っていた時は、こんなことがあったな」
とか、当時の自分を思い出し、なんとも言えない気持ちになります。
どちらかと言うと、オールドファンに向けたCMかも知れませんが、
競馬に対しても、自分に対しても歴史を感じさせてくれる素晴らしいCMだと思います。
さて、今回は時代を超えた夢のレースではなく、おしくも実現されなかった
夢のレースを書いてみたいと思います。
人それぞれだとは思いますがw
メジロマックイーン vs トウカイテイオー vs ミホノブルボン
実現したとすると、1992年の有馬記念あたりでしょうか。
メジロマックイーンは1990年2月にデビューし、新馬は勝つものの、
9月まではまだ1勝馬の身でした。
9月に入って500万下、900万下を連勝し、嵐山S(1,500万下)で2着し、菊花賞に挑みます。
そして、4番人気止まりだった菊花賞を見事優勝します。
翌年の天皇賞(春)も優勝し、親子3代天皇賞制覇(メジロアサマ、メジロティターン、
メジロマックイーン)を達成。
通算成績は21戦12勝 (12-6-1-2)。着外が2回ありますが、一つはJCの4着と、
もう一つは1位入線ながらも18着に降着した1991年 天皇賞(秋)です。
当時、私は、『マックイーンは俺が乗っても勝てる!』と言っていたほど、
強かった印象があります。
トウカイテイオーは、1984年に史上4頭目の三冠馬、史上初の無敗の三冠馬、
その後、史上初の七冠馬に輝く『皇帝』と呼ばれたシンボリルドルフの初年度産駒の1頭として、1990年12月にデビューします。
この馬は私の大好きな馬の1頭ですね。気品があるというか、上品というか、
皇帝の息子の王子様っていう印象を持っていました。
デビューから無敗の4連勝を飾り、皐月賞、ダービーも無敗で勝つんですね。
『これは、親子2代の無敗の三冠馬になるのでは?』
と期待が高まりましたが、ダービーの表彰式のあと出張馬房に戻る時点で歩様に異常。
レントゲン検査の結果、骨折が判明し、菊花賞の出走を断念しました。
その後、4度の怪我に悩まされながらも通算成績は12戦9勝 (9-0-0-3)。
勝つか惨敗かってところもかっこよかったですね。
また、JCを勝った時の西日に輝くトウカイテイオー、
そして、1年ぶりの有馬記念を勝った雄姿は今でも忘れられません。
ミホノブルボンは1991年9月にデビューしました。
当時、ミホノブルボンは『本質的に短距離馬である』と言われていました。
しかし、戸山調教師は『鍛えて強い馬を作る』という信念のもと、当時最新設備であった坂路調教によってガツガツ鍛えます。
入厩当初から坂路1日4本を課します。1日4本はブルボンが初。2本でもキツイそう。
5本に増やしたが、ブルボンが体調を崩したため4本に戻したこともあるとか・・・。
そうやって鍛え上げられ、機械のような正確な逃げをうつことから、
『坂路の申し子』『サイボーグ』などと呼ばれるようになりました。
そして、朝日杯3歳ステークス(G1)を含むデビューから4連勝!
さらに、皐月賞、ダービーを勝ち、菊花賞トライアルである京都新聞杯も勝ち、
ついに無敗の3冠馬誕生か!?というところまできます。
そして、宣言通りキョウエイボーガンの玉砕的な逃げで始まる菊花賞。
ミホノブルボンは4コーナーを回って先頭に立つものの、残り100mでライスシャワーに
かわされ、マチカネタンホイザにもかわされかけます。
なんとかマチカネタンホイザを差し返したものの、ライスシャワーの2着に敗れます。
無敗の三冠馬にはなれませんでしたが、短距離馬と言われたブルボンが、
2,400mのダービーを勝ち、3,000mの菊花賞を2着したことは調教の賜物だと思います。
そして、ジャパンカップを目指して調整していたものの、脚部不安を発症し断念。
その後、有馬記念の出走も断念します。
復帰を目指して調整していましたが、骨膜炎、骨折などもあり、1994年に引退します。
菊花賞から2年もの間、関係者の方は復帰に向けて頑張っていらっしゃったんですね・・・。
通算成績は、8戦7勝 (7-1-0-0) 。朝日杯、皐月賞、ダービー。
この年、メジロマックイーンとトウカイテイオーは天皇賞(春)で対決しています。
結果はメジロマックイーン 1着、トウカイテイオー 5着でした。
メジロマックイーンは宝塚記念を目指して調整中に骨折、秋は療養中でした。
トウカイテイオーはというと、メジロマックイーンとの対決のあと剥離骨折が判明。
なんとか天皇賞(秋)に間に合いましたが7着。
ミホノブルボンとメジロマックイーンの怪我さえなければ、1992年の有馬記念で実現していたかも知れません。
1993年でも面白かったかも知れません。
この3頭にビワハヤヒデが加わりますからね。
ビワハヤヒデというと、弟のナリタブライアンとの兄弟対決も見たかったですね。
これも実現されそうでされなかった対決です。
どれが勝つか、どっちが勝つかというより、単純に見てみたかった、
私の『夢の第11レース』でした。
今年は実現するのでしょうか?
まずは、コントレイルとデアリングタクトに無敗で三冠を達成してもらわないと始まりませんが・・・。
この2頭にアーモンドアイ。
楽しみに待ちたいと思います。
ではまた。